本当は怖いかも知れない大きな古時計

大きな古時計って歌があるじゃろ?百年休まずにチクタクチクタクってあれよ。
おじいさんが亡くなったのと時計が止まってイイハナシダナーってあれよ。
だがちょっと待って欲しい。本当にそれだけなのか?何かおかしくないか?
疑問が生じたらそれっぽい答えが見付ける(こじつけるとも言う)のが我々ジュラル星人だ。

疑問点

歌詞に「おじいさんの生まれた朝に買ってきた時計さ」という部分がある。
おかしい。子供が生まれたときに時計を買いに行く親がいるだろうか。
孫の誕生にテンション上がった祖父母がプレゼントに時計を買っておいたという事も考えられるが、予め買っておいたのなら「生まれる朝に」となるべきで、時系列的にはおじいさん誕生→時計購入となるのが正しい。
また時計の形状として「大きく」、「のっぽ」であることから柱時計と推測される。しかも100年休まず動き続けているのだから、品質も良い。確実に高級品だ。
ただの一般人が生まれただけにしては仰々しすぎる。おかしい。

考えられること

まず考えれるのは、「おじいさん」はなんらかの特別な存在だったということだ。
その特別な存在の誕生に時計が用意された。何のために?
こうは考えられないだろうか。「おじいさん」は試験管の中で生まれた人工生命体で、どれだけ生きられるかを計るために時計が用意されたと。
人が人を模したものを造るという禁忌、そのような研究をしていた所なら資金も豊富に用意できるだろうし、高級な時計を「おじいさん」に与えたことから「おじいさん」は唯一の存在であり、研究員達から愛されていたであろうことは容易に推測できる。
お別れの時が来たのを皆に教えたのさ、で言う「皆」も研究者達のことであろう。
天国に昇る「おじいさん」は、幸せだったのだろうか?その表情は窺い知れない。